TOKYO ROPE RECRUITMENT 2021

トップメッセージ

社会的使命を全うするために。

実直にものづくりに向き合い、世界に挑む。

 私たちには、実直にものづくりに向き合ってきた歴史があります。東京製綱は日本初の工業用マニラ麻ロープの製造を目的として、1887年(明治20年)に設立されました。そして早くも1897年、より高い強度を実現すべく、ワイヤロープ(鋼鉄製のロープ)の製造に踏み切りました。しかし当時、東洋ではワイヤロープの技術がまだ確立されておらず、深川工場には、多くのB級品が積み上がったといいます。しかし、そのような逆境の中でも、先人たちは諦めませんでした。『ヨーロッパの真似ではなく、自前でレシピ(製造法)からつくろう』と決意し、ワイヤロープ製造技術の純国産化という困難な道を進む覚悟を決めたのです。当時、日本に3台しかなかった金属顕微鏡を購入し、材料学研究からスタートして独自のレシピをつくり上げる道を選択しました。その過程は失敗の連続でしたが、粘り強く答えを探し続け、ワイヤロープの技術に関する知見を培っていきました。このものづくりへの実直な姿勢とパイオニア精神こそが、リーディングカンパニーという東京製綱の現在の立場を築いたのだと私は考えています。
 市場環境が大きく変化している現代社会にあっては、当社も大なり小なりその影響を受けています。例えば、国内市場は人口減少などを背景として、長期的には縮小傾向が続くと予想されます。そこで現在は、国内市場における技術的な優位性を維持しつつ、炭素繊維などの新素材や新技術の開発をテコに、グローバル市場における競争力強化を図っています。その施策の一つとして2018年4月、グローバル市場での大きな需要を見込んで、CFCC®(炭素繊維ケーブル)事業と海外エンジニアリング事業を担う、東京製綱インターナショナル(株)を設立。東南アジアや中央アジア、北中米、ブラジル、ロシア、インドなどにおいて送電事業、橋梁土木事業、道路・鉄道や河川の防災事業などのインフラ整備に注力し、海外展開を加速させています。

 ただし、私たちは企業成長のためだけに、あるいは利益を上げるためだけに海外へ進出するつもりはありません。東京製綱は社員一人ひとりが “人々の安全・安心を支える” という使命感を持って社会に貢献し、海外進出先の国においても、その国や社会から必要とされる会社であることが大切だと考えています。そのために世界最高の技術で製品とサービスの品質向上を図り、付加価値を市場に認めてもらうための努力を継続しています。

心から納得できることを。

 ここからは私の大学時代、そして東京製綱に入社後の若手社員時代のお話をさせていただきます。まず大学時代ですが、今振り返ると、私にとっての人生の分岐点はこの時期にあったように思います。

 大学に入って、家庭教師のアルバイトを始めました。時給も高く、さほど苦労もなかったので、学業との両立において都合の良いアルバイトでした。しかし、途中から何か腑に落ちない気持ち、こんなに苦労せず、いわば「濡れ手で粟」でお金をもらって良いのだろうかという気持ちを抱くようになりました。そこで家庭教師のアルバイトはやめ、知人に紹介されたカーペットクリーニングの会社でアルバイトを始めました。文字通りカーペットの掃除をするのですが、これがなかなかの重労働。ただ、なぜだかわかりませんが、とても納得することができました。大変ではあるけれど、額に汗して、一生懸命働く──。これがあるべき姿だ、と思ったのです。その瞬間から、「心から納得できることをしよう」という、その後の社会人生活にも通底する考え方の軸ができたように思います(あくまで個人的な「性に合うか、合わないか」のお話であり、また私が家庭教師の仕事に真剣に向き合っていなかったということであって、決して家庭教師のアルバイトが無意義だというわけではありません)。

 続いて、若手社員時代についてです。入社後は、出身校でもある東京大学に研究員として派遣され、合金開発分野の研究に2年ほど携わりました。その後、当社の関係会社である日本特殊合金(株)へ出向し、まず品質管理部門で経験を積みました。そして、20代後半の頃に同社金型製造部門の責任者に任命され、およそ10年間、従事することになります。配属当初は、20人ほどの社員が在籍していました。しかしながら、経験の浅い若手や中途入社した年配の方が多く、仕事の進め方などの規律が曖昧で、組織として成り立っているとはいえない状況でした。かといって、彼らとたいして年齢が違わず、かつ配属されたばかりの私が、一方的に指示をしたところで、一体感をなして組織的な行動ができるとは思えませんでした。

 考え抜いて、そして試行錯誤して行き着いた答えは、自ら率先して行動し、その後ろ姿を周囲に見せること。そのために工作機械の操作を一から覚え、自分の手を動かして金型をつくりました。同時に、社員一人ひとりにも目を配り、積極的にコミュニケーションをとるように心がけました。率先垂範し、人の倍動き、倍汗をかく。これが私にとって「心から納得できること」だったわけです。そうした日々の積み重ねで、少しずつ周囲から信頼されているという実感を覚えるようになりました。次第に組織として一体感が生まれてきて、業績向上という結果もついてきました。努力は必ず報われるのだ、としみじみ思ったものです。

自ら考え、道を開く。

 学生・若手社員時代の話をしたのは、「自ら考え、心から納得できることを信じ、行動する」という軸が、社会人生活において最も大切だと思うからです。幸いにも当社の社員は、それぞれ自分なりの信念や価値観を持ちながら、皆同じ使命感を胸に邁進しています。自社製品で世界のインフラを支え、安全・安心を創出する──。この確固たる社会的使命を全うすべく、実直にものづくりに向き合っています。

 これからの東京製綱を担う方々にも、自ら考え続ける人間であってほしいと思います。社会に出れば、いたるところに困難が待ち受けているものです。しかし、困難に押しつぶされるか、その困難を力に変えるかは自分次第。どんなに大変でも諦めず、ときには周囲の人々の協力を得つつ、深く考え行動に移せば、自ずと道は開けます。その先にこそ、「社会的使命を担っている」という確かな実感があるのです。

 その上で、東京製綱は積極的に多様な人材を求めています。企業のアイデンティティは「人」にあります。これからのグローバル時代を生き抜くためには、個々の力は必要不可欠です。同じような性格、あるいは価値観を持った人材の集まりではなく、多様性に満ちた集合体であり続けることで、会社は一層強くなると考えています。そして、多様な価値観を持った人材、さまざまな専門性を持った人材が同じ「社会的使命」を共有することで、その多様性が十分に発揮されると考えます。

東京製綱株式会社 代表取締役社長

浅野 正也

MASAYA ASANO

富山県出身。1983年、東京大学工学部を卒業し、同年東京製綱に入社。入社後、研究所に配属され、東京大学の研究室に派遣される。3年目に、関係会社の日本特殊合金に出向。その後東京製綱に戻り、製造部長、事業部長などを経て、2012年6月取締役。その間、技術系ながら人事部長なども経験。2018年6月より現職。座右の銘は、リンカーンの格言「意志あるところに道は開ける」。趣味は陶芸。20年ほどのキャリアがあり、近年はろくろを回すのではなく、板づくりが中心。自作した器などは普段使いしている。